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八島高明の前世を知る講座 
 八島高明の前世を知る講座



〜 前世はあるのか、無いのか 〜


八島高明の占い講座〔運命編〕  NO 10


「前世」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。おそらく多くの方が、テレビや雑誌などで、一度や二度は聞いたことがあると思います。前世などの世界は、一般的にオカルトや宗教の世界でのみ扱われているようですが、テレビなどのアンケート調査を見ますと、その存在を信じる人は意外と多いようです。

しかし、なぜか通常はそれを口に出して語ることはありません。
それは科学が普及している、現代という時代の雰囲気なのでしょうか。私たちは、一般的にこのような話をタブー視しておりますが、一昔前の中世時代まで遡ると、現代ほどタブー視されていたわけではないようです。




前世講座1

前世と運命の関係とは
・・・



前世と運命は切っても切れない関係にある

 


 

前世はあるのかないのか?

 

前世講座2

前世に関しては、特に東洋においては仏教の影響もあり、文学においても語られてきましたし、少なくとも現代よりは一般的であったようです。

 

ただ、現代に生きる私たちは科学的な思想にかなり洗脳されていますので、中世の人たちのそうした考え方を迷信的と考えるものですが、必ずしもそれは正しい見解だとは言えません。

なぜなら、私たち一般人の考えは、科学者の受け売りに過ぎないからです。それは自分自身の体験や研究に基づく判断ではなく、環境的に作られた考え方であることをまず考慮すべきでしょう。

 

前世に関しては、よく「臨死体験者」の体験が取り上げられます。事故や病気などによって生と死の境をさまよい、不思議な体験をしたという話です。近年、よくマスコミ等の話題に上りますが、賛否両論あるようです。科学者の中には、こうした体験のすべてを「脳の幻覚」として捉える人もいます。ただ、そのすべてを「脳の幻覚」として捉えるのは無理があるのです。なぜなら、臨死体験者の体験があまりにもリアルだからです。

 

たとえば臨死の状態にいるとき、自分の家族が話していた内容を細かに記憶している人がいます。あるいは、自分の介抱に当たっていたドクターの頭のてっぺんに、「小さな禿があった」という事実を語る人がいます。あるいは自分の病室の隣の部屋で、誰が何をしていたとかを語る人もいるのです。

このような事実と符合する体験は、ただ、「脳の幻覚」だけでは片付けられません。細かな調査もせずに、それを意図的に他の原因と結びつけることは、けっして科学的な態度とは言えないでしょう。このような体験は「脳の幻覚」という仮説ではもはや説明できないし、また何の説得力もないのです。「臨死体験」についての医学的な研究が刊行されていますので、詳しくはマイクル・B・セイボム『あの世からの帰還』(日本教文社)を参考にしてください。

 

「臨死体験者」の体験によると天国や天使など、あの世的な話が多いのですが、その中には前世に関する話などもあって、前世の存在を裏付けております。また、私自身の体験でも、一昔前には何度も「体外離脱」という現象を体験しておりましたから、肉体と精神が完全に分離できる存在であり、まったく異なるものであることに何ら疑問を感じません。

また、私自身も前世に関する記憶を持っていますし、その記憶と符合する現在の数多くの不思議な体験から、こうした前世の存在はまったく否定できないものなのです。

 




 

なぜ誰も前世の記憶を持たないのか

 

前世講座3では、私たちはなぜ前世の記憶を持たないのでしょうか。おそらくそこには、自然界の構造的な原因があるのでしょう。

ただ、人間の立場から考えると、こうした記憶はむしろ無いほうが都合が良いのです。もし、前世がすばらしい人生であれば、記憶があったほうが良いかもしれません。

しかし、もし反対に苦悩の多い人生であればどうでしょうか。

たとえば非業の死を遂げた、あるいは人を殺したとか、そのような悲しい何か悲惨な体験があれば、その記憶は持たないほうが良いのです。そうした記憶は、今度の新しい人生を作る上での障害となるでしょう。

 

私たち人間は多くの「煩悩」を持つ生き物である以上、必ず間違いを犯します。ですから、人生を再創造するには、記憶をリセットしたほうが何かと都合が良いのかもしれません。

では、このような前世の記憶は、完全に消し去られているのでしょうか。それに答える興味深い事実があります。これも近年アメリカで話題になり、現在、日本でもブームを作りつつありますが、「前世療法」というのがあります。これは心の悩みを持つ患者に対して催眠をかけ、前世の記憶を取り戻して病気を治そうという新しい試みです。

 

不思議なことに、患者が深い催眠状態において前世の記憶を取り戻し、心のわだかまりとなっている前世の記憶を開放すると、本当に病気が治るのです。前世で何か悲惨な体験をした人は、現代においてもその記憶を潜在意識の中にとどめています。

それが現在の病気の原因を作り出しており、記憶が心の歪みとなって患者を苦しめているのです。その記憶を掘り起こし、その体験を追体験して、それが記憶であることを確認させることで病気が治るのかもしれません。それは一種の心理療法のような効果を持つのでしょう。

 




 

才能や能力の違いは前世に起因する

 

私たちは前世の記憶を思い出そうとしても、なかなか思い出せるものではありません。しかし、前世療法でも分かるように、心の奥深い次元から現在に生きる人格に相当な影響を及ぼしていると考えることができます。たとえば、生まれついての才能やすばらしい能力なども、前世から持ち越した修練の賜物の一つと考えられます。また、スポーツや音楽の才能、数学や文学の才能などもそうです。

なぜ、イチローは素晴らしい才能を持ってるのでしょうか。松井や松坂もそうです。こうした才能は幾生もの鍛錬を通して得られるものなのです。
前世で習得した技術や才能などは、何らかの心の遺伝的な情報となって、次の人生に持ち越されるのです。遺伝とは、必ずしも肉体から肉体へと伝達される遺伝情報だけではありません。それと同じような時空や空間を飛び越えて起きる「心理情報の遺伝」というのもあるのです。

それは親から子供への遺伝ではなく、前世の自分自身からの遺伝です(遺伝子によるものではない)。それがどのような原理で為されているのか、現在の段階では解明できていません。しかし、そうした法則が実際に存在することは確実なようです。私の現時点の考えでは、おそらく人生で経験した全情報が記憶され、それが死後は凍結された種子状態になり、再び生まれる時に新しい肉体に組み込まれる、と考えております。

それはもともとあった両親の遺伝子に複合的に影響を与え、運命に大きな変化をもたらしているのです。ですから、あなたが来世で何かの分野で活躍したいと考えれば、今からそれを始めたほうが良いでしょう。今生ではたとえ成功できなくても、来世では成功できるかもしれないのです。

 



 

前世の人格が意識の上に出てくる時期がある

 

前世講座4運命の研究を進めていくと、実際に、前世を想定させるような事例に何度も遭遇します。その中でも特に「運命が急変する過程」において、こうした前世の影響を見ることができます。

たとえば、これまで大人しかった人物があるときを境に急変し、恐ろしい凶暴な人格へと変わったりすることがあります。あるいはこれまで攻撃的だった人物が、ある時期を境にして急に人が変わったように優しくなることがあります。

 

それ以外にも、これまで無かった才能が急に開花する事例もありますし、あるいは仲の良かった夫婦などが、急に仲が悪くなることなどあります。

運命の研究をしていると、このような摩訶不思議な事例に何度も出くわすのです。これは特殊な事例ではありません。多くの人の運命に、このような事例がたくさんあるのです。

 

このようなことは、現代の科学では解明できません。現代では、その人の過去の経験を洗いざらい検証して、幼少期にあった教育環境や虐待の事例と結びつけたりするのが一般的でしょう。しかし、たとえ幼少期に虐待の事実があったとしても、はっきりとそれが原因であるとは言えないはずです。それはあくまでも推測の一つに過ぎません。

はっきりと言えば、このような運命が急変するような現象は、科学的にはまだ解明されていないのです。多くの人がこのような事例を目にしたり、耳にしたりしていると思いますが、その詳細な研究は為されておらず、多くの事例は「原因不明」という理由の下に処理されているのです。

 




 

運命に関わる前世の影響とは何か?

 

では、運命に対して前世はどのように関わるのでしょうか。先ほど、前世の記憶が遺伝するということを述べました。これは親からの遺伝ではなく、自分自身の前世からの遺伝です。

こうした遺伝は時空を越えて起きるものですが、それが実質的に確実に伝達されるところから、それが何らかの情報を持った実在的な原理があることが想定できます。その詳細については現在の段階では未解明ですが、物質を超えた意識の次元に、このような構造が存在すると考えることができるでしょう。

 

その実体を持った意識の遺伝機能が、あなたの前世で獲得してきたことや経験してきたこと、考えたことや思った事などを何らかの情報として記録しているのです。それは運動に関する才能であったり、学問に関する才能であったり、芸術に関する才能であったりします。

私たちはテレビや新聞をにぎわすスタープレイヤー、秀才、才能豊かな芸術家たちを見て、「自分もああなりたい」と願うものですが、それが偶然の産物ではなく、彼らの前世における鍛錬の賜物であったとしたらどうでしょうか。

 

前世講座6こうした活躍をする人たちの運命を研究してみると、彼らがそれにふさわしい運命を持っていることがわかります。

彼らが活躍する時期というのは、やはり運勢的にも恵まれている場合が多いのです。

しかし、彼らは偶然にその時間に生まれついたのではありません。彼らの個性が「自分の心理構造に相応する」ようにして、そうしたタイミングの下に生まれてきているのです。

 

こうした前世の情報は、何も才能に関するものばかりではありません。あなたが関わった人、家族、友人、恋人、夫婦などに関する想いや、その人たちと関わった記憶も含まれます。

たとえば、仲のよかった夫婦であれば、その人が今度の人生では他人であっても、何となく親近感を抱くでしょう。その反対に、いがみ合っていた夫婦であれば、仲の悪い兄弟として生まれてきたりすることもあるようです。あるいは以前と同じような夫婦であっても、夫婦関係が逆転して夫と妻が入れ替わり、前世でいびられた仕返しを妻が夫にする、というようなこともあるのです。

 

こうした人生の舞台設定は、生まれる時点で決定していると考えられます。なぜなら、生誕時のデータにこのような情報が現れてくるからです。家族の運命を研究すると、このような事例を数多く見ることができます。たとえば、夫の運命が悪くなるのと同時に、妻の運命も悪くなる、あるいは子供の運命に障害が出ると、不思議と親の運命にもそのようなサインが出てくるのです。このような事例は何度も見てきていますので、統計的にも実証できるでしょう。

 






前世講座2


 

運命とは人生・人格の矯正なのか?

 

前世講座7運命がこのように前世の因果で決まっているとしたら、今度の人生というのは、前世で犯した罪の「矯正」をしているのでしょうか。答えはある意味ではイエスです。それは特に、人生の前半の若い時期に「矯正の場」が設定されています。

生まれる家庭環境は、どんなに強靭な意志の持ち主であっても、変えることはできません。大人になって、自分の人生を明確に形作っていける人でさえ、幼少期は両親や地域の影響下にあります。

そのような環境は、前世の「運命的な歪み」を最も矯正しやすい場なのです。幼少期はどのようなタフな人物であれ、そのような環境から逃げ出すことはできません。ですから矯正が効力を持つのです。

 

あなたの幼少期や青少年期の環境を思い出してください。それは幸福な環境でしょうか。それとも何らかの不幸を背負った環境でしょうか。いずれにしても、それはあなた自身の潜在的な性格の歪みを矯正する場だと考えねばなりません。運命の矯正は、多くは家庭の中で行われているものですが、それがすべてではありません。たとえば、恋人や夫婦間の異性に関することであれば、家庭内では処理できません。ですから、そのような場合は20代とか30代くらいに矯正の時期が設定されるのです。

 

そのような時期が始まれば、それまで仲のよかった夫婦や恋人にも、ギクシャクした気持ちが生じてきます。喧嘩の内容は実に些細なことでしょう。しかし、喧嘩している二人には、なぜかもやもやした気持ちが続きます。その原因は現在の関係からは、はっきりとはわかりません。こうした心理の背後には、前世に関する記憶が深く干渉している場合が多いのです。

 

これは夫婦間に限りません。親子の関係や友人関係、その他、見ず知らずの人と関わっている場合もあるのです。そうした情報の多くは「潜在意識」の奥深く眠っていて、私たちは普段はそれを意識することはありません。しかし、その情報に見合う時期、環境が作られたときに、その情報は意識の表面に上がってきて現象化されるのです。

 

これが仏教などで言われる「因果応報」の原理です。このような原理は、確かに存在しています。それは運命の研究においても確認されるのです。突然、起きる不幸な事件や事故の背後にも、このような秘められた原因があると考えられます。これは不幸の原因だけに限るものではありません。

もちろん、幸福の原因もこのような原理によるのです。とても苦しいときに助け舟が現れたりすることもありますし、偶然の奇跡に思えるような救助劇の中にも、このような例があります。このような話をすると、「では、現在の苦労もすべて前世の影響か」という話になると思います。次にそれを考えて見ましょう。

 



 

幸福も不幸もみな前世の影響なのか?

 

前世講座8かつての精神主義・大国インドでは、このような因果応報の原理が厳然として存在していました。

ブラーフマナ、クシャトリヤ、バイシャ、シュードラなどの四段階に隔てられるカースト制度も、このような思想が基にあって作られているのではないでしょうか。

昔の日本にも「士農工商」という同様な制度がありました。平等主義の現代においては、やや時代遅れな感じもしますが、これは正当なものなのでしょうか。

 

インドでは前世の因業によって、その人はそこに生まれると考えます。

前世で善徳のある人はブラーフマナ(富裕階級)に、悪業のある人はシュードラ(下層階級)に生まれるのです。インド流に考えれば、すべてが「因果応報」という平等な原理に基づいていますので何ら矛盾はありません。でも、私はそこにインド特有の思惟的な詭弁を感じるのです。そこには何かがすっぽりと抜け落ちているのです。

 

それが何かを考えていきますと、「進化の軸」という概念に突き当たります。その原理を因果応報の中に持ち込みますと、その原理が完全ではないことが分かるのです。つまり、カーストの壁で隔てられているのは前世での因業などではなく、人間としての進化の尺度なのです。インドでは、人間は何度も生まれ変わって進化向上していく存在として捉えられています。であるならば、当然そこには進化向上を遂げた人間と、まだ進化を遂げていない人間がいることになります。

 

進化した人間は多くの才能や能力を持ちますが、進化していない人間はそうした才能や能力は持ちません。このような人たちがカーストの壁で区切られているのです。このような区切りが発生した当時は、それが何らかの意味を持っていたのでしょう。しかし、いかなる法も時代の中で形成されて、また変化していくものですから、ずっとそれを使えるわけではありません。

たとえば、現代のような教育環境の整った時代であれば、カーストの壁で区切るよりは、いかなる者にもそれぞれに応じた平等な教育環境を与え、ともに進化向上させるほうが得策だと考えることもできるでしょう。

 

因果応報という原理は確かに存在します。ただ、それは万能な法則ではありません。このような原理ですべてを解釈しようとすると、そこに矛盾が生じてくるのです。たとえば、現象のすべてが前世の因果であるとすれば、その「発生の起点」はどこでしょうか。これは誰でも思いつくことです。原因と結果をずっとさかのぼっていくと、その起点は永劫に循環していきます。

そこに結論は出てきません。そこをいかに巧みに説明しようとも、この本質的な「起点の問題」は解決できないのです。解決できないということは、それが間違いだということです。それを無理に説明するよりも、別の解釈があることを考えねばならないでしょう。

 

前世講座8そこに「進化軸」という思想を入れますと、その問題は矛盾なく説けるのです。進化の法則は、いかなる人も本質的には平等であることを述べます。しかし、実際の現実を見ますと、そうではありません。

人間の中にも様々な人がいて、才能や能力や魅力などを開発した「進化した人」もいれば、まだそうした能力を開発できていない「進化の遅い人」もいることが分かります。

こうした人たちはそれぞれの適性に応じて、生まれ出る環境を選択しています。ですから、それは前世の応報ではなく、あくまで進化の問題だといえるのです。

 

必ずしもすべてが前世に起因するものではなく、努力しようにも、意志の弱い脆弱な人がいることが分かります。そのようなタイプの人は、ごく自然に本能的に生きていて、あまり努力はしていないのです。それをたとえれば「大人と子供の関係」のようなものです。大人は意志が強く、自らの力でどのような環境も作り出していくことができますが、子供にはできません。それは彼らが怠けているからではなく、進化成長していないからです。

 

先のインドのカーストの問題もこれと同じようなものです。ですから、現実問題としてすべてを前世の因縁で考える方法論は正当性を得ませんし、あまりにも単純な発想法だと思えるのです。ただ、そのような原因をまったく考慮しない態度も、また間違っているのです。

運命の研究をしていると、自然界の整合性の中に人間の偏見によって作られた多くの矛盾が見えてくるのです。前世と運命の関係も、これからさらに解明されていくことでしょう。運命分析では前世の影響を知ることにより、欠点を修正し、良い資質を伸ばしていくための方法を基本方針としています。


〔八島高明・文〕



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  オフィスファルの「占いと運命の科学」より 




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