運命を一瞬で読む通信講座
八島高明の占いの学び方講座
 
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占いの学び方講座


  
   〜 正しい学び方が真実を見出す 〜

 

 八島高明の占い講座〔運命編〕 NO1

運命の世界にわけいる
運命とは一体何でしょうか。はるか遠い昔より、人間は運命というものを考えつづけてきました。それは主に自分と他人の境遇を比較してであったのかもしれません。

たとえば容姿の問題、「どうして私はこんな顔なのに、あの人はあんなにきれいなのか」「どうして僕はチビなのに、あの人は背が高いのか」など。

貧富の問題だと「あの子の家はすごい金持ち、でも私の家はいつも貧しい」、才能でいえば「僕には何の才能もない、でもあいつは勉強もスポーツもできる」など。

なぜ、人間にはこのような差が生まれるのでしょうか?占いも含めて、すべての哲学、心理学、運命学はそこから探求が始まるのです。



人間には様々な運命のかたちがある

 

占いの学び方講座2私達の周囲には、いつの世でも生まれつき裕福な人々がいます。

そうかとおもえば反対に、生涯をとおして貧困の中で生きる貧しい人々がいます。また、華々しく活躍する才能にあふれる人がいるかと思えば、その反対にどこにもこれといった特徴のない人がいます。

ふつう、誰でも自分は裕福でありたいと願うでしょう。また、いろんな才能に溢れ、容姿にも優れた魅力的な人物になりたいと望むものです。

しかし、そうした願望のかなう人というのは、多くはありません。


 



 

すべてはそこから始まる

 


これらの違いというのは、考えてみても不思議なことです。本当にそれらは偶然にできたものでしょうか。それともどこかに「運命の女神」がいて、その女神が生み出すものが運命なのでしょうか。

あるいはもっと違った何か別の原因があるのでしょうか。恵まれた環境にいる人は、こうしたことを真剣に考えたりはしません。おそらく自分の運命について大いに満足しているのでしょう。

 

反対につらく不遇な環境にある人ほど、自分の運命というものについて真剣に考え、いつも意識しているものです。

この世で生を受け、公平であるはずだと信じるこの世界が、実際には多くの不平等に満ちており、また、自分の今生きている環境が耐え難いほどつらく、不遇であればあるほど、自分の運命を何とかしたいと望むことでしょう。

そして散々悩んだあげくたどりつくのが、「運命というものは、本当に実在するのだろうか」ということではないのでしょうか。

 

                            

 




 



偏見の壁を壊すと、真実が見えてくる

 

 

占いの学び方講座3こうした心的プロセスの進行は、ある種の宗教的な悟りの過程にやや似ているかもしれません。

ある人は運命を知るのに、直接的に宗教などを頼るでしょう。また、ある人は占術などの本を読み漁り、時にはプロの占者たちを訪ね回るかもしれません。

また、ある人はDNAや脳科学など、自然科学の分野に頼るでしょう。また、古代ギリシャのソクラテスのような堅い人であれば、何らかの哲学を愛好するかもしれません。

 

ただ、いずれの方法を選ぶにせよ、それらは運命というものを追求する方法や手段の違いであって、運命の世界を探求する人の全てが、究極的には同じ答えにたどり着くのです。

 「山に登る道は一つではない。それはいくつもあるが、その頂上は一つなのだ」と。

運命の世界の探求も、それと同じものだと私は考えます。いずれの分野においても、ある程度の考察が進みますと、おぼろげながら、「人間には運命らしきものが確かに存在するようだ」ということを、誰でも確信するようになるのです。




 

 

運命は信じるものではなく、学ぶもの

 


運命学を学ぶと、まず偏見の壁に突き当たる運命の世界が確実に存在することが理解できるようなると、次に「偏見」「先入観」という大きな壁が立ちはだかります。

つまり、その人自身が運命の世界に入るキッカケとなった経験です。たとえば占い師であれば、風水や家相、姓名判断などを信奉しているでしょう。

占星術師であれば、星の運行がすべてだと考えます。心理学者であれば、幼少期の教育環境、トラウマが運命を作ると考えるでしょう。医者であれば、遺伝子のことを考えます。

 

つまり、その人自身の最初に出合った体験、学んだ知識が、「運命信仰」の母体となっているという事実です。

まず、この事実を考慮しなければなりません。いいかえれば、それは真実の運命論ではなく、実証性や合理性に基づくものでもなく、いわば一種の宗教的な信仰によって、その運命論を「信じている」ということにすぎないのです。


 

 

古来の知識は完全ではない!

 

占いの学び方講座4
人は様々な理由から、運命の世界に踏み入り、そして多くの経験や思考錯誤の過程を経て、少しずつ運命についての認識を広げていきます。

それ自体に、何の問題もありません。ここで大事なことは「自分の歩んできた、あるいは学んできた知識というものに固執してはならない」ということです。

もし、あなたが自分の学んできた運命についての知識や経験、あるいはこの運命論こそが絶対に正しいと考えているとしたら、それはあなたが宗教世界のような「主観的な信仰世界」に入りこんでいることを表明することになるのです。

 

運命論は決して信仰されるべきものではありません。根拠の無い迷信的な運命論の信仰によって、未来の計画をしたり、あるいは自分の可能性を否定したり、それで大切な人生を台無しにしているとしたら、実にもったいないことです。

こんなことを言うのも、じつは私自身もかつて、この研究を始めた頃に根拠の無い運命論を信仰し、手ひどい目にあったことがあったからです。

今となっては滑稽な話です。しかし、そのときは真剣そのものでした。その真剣さに、いいかげんな運命論が入り込む隙があったのです。実体のない運命論は、かえって大きな災いをもたらすでしょう。そのような迷信的な知識は、逆に知らないほうが幸福になれるかもしれません。

 



 

どんな人でも偏見の中で生きている

 


いかなる人間も偏見の世界で生きている運命論だけでありません。ほとんどの人は何らかの偏見を持って生きています。

たとえば現代では圧倒的に「金銭の崇拝者」が巷を跋扈しています。金銭を得るために人を殺す人がいます。

詐欺まがいの商法で他人をだまし、その得た金で平然と高級車を乗り回す人がいます。

また、外国では狂信的なテロ集団に加わる人がいます。

正統的に得たお金であっても、湯水のように使ってよいとは限らないでしょう。正統とは単に法律に触れていないというに過ぎません。実際には弱者の犠牲の上に、儲けていることを忘れてはならないのです。

 

迷信的な人間は、このようにして強固な「偏見の壁」というものを作りだしていきます。

そしてその中でしか生きられない、あるいは理解や判断ができないような閉ざされた思考パターンを生じさせていくのです。このような硬直した考え方や態度は、結果的には、閉鎖的で独り善がりな教義というものを作りだしていくでしょう。

実際に多くの人が、こうした「狭量な思考の落とし穴」に陥るのです。人の内面には、常に絶対的なもの(力や知識)を求めたがる傾向があります。ですから、自分が学んだ一つの価値観にしがみつき、それだけでこの世の全てを解釈したがるものなのです。

 




 

究極的な真理は、どこにも存在しない

 


ただ、考えてみてください。この世界には「究極的な真理」「絶対的な正しさ」というものは、どこにも存在しません。

この世界の全ての事象は常に相対的であって、真理や正しさというものは、この世界のいかなるものにも散りばめられているものなのです。

ですから、運命の世界を学ぶ過程においても柔軟な思考を心がけ、運命論者にありがちな、独りよがりの独善の世界に陥らないように、十分気をつけなければなりません。

 




 

知識の断片から、真理が見えてくる

 



知識の断片から、真理が見えてくる人間は、この世界で唯一叡智をもつことができる存在です。だからこそ、この世界に散りばめられている真理の断片を一つずつ拾い上げ、それを紡ぎ合せる役目を負っているのです。


そしてこの役割を成就させるには、いかなる知識にも執着をもたず、またいつも謙虚な態度で、森羅万象に偏在する知識を正しく学ぶことが肝心ではないでしょうか。

運命の世界について考察する場合も、まったく同様に、こうした開けた立場やスタイルで研究していくことによって、偏見のない芳醇な知識を学ぶことができるのです。

また、それらを統一していくような普遍的な運命原理が見えてくると思えるのです。






 

 

 



 


真偽がごちゃ混ぜの運命学

 


真偽がごちゃ混ぜの運命学占いの類を総称して、運命学と呼ぶことができるでしょう。

運命学とは一般的に「人間の未来、個人の性格や能力、才能、運気などの状態を予測する技術」をいいます。

具体的に言えば、

赤ちゃんの命名などで人気のある「姓名判断」

毎年出される暦などでおなじみの「気学」

筮竹を使用して事の判定をする「易断」などがあります。

他にも、女性雑誌などの連載でおなじみの「占星術」、過去からの長い伝統をもつ「手相学」「人相学」、西洋の易でもある「タロット術」、数字に意味を読み解く「数秘術」などがあります。

また、特に的中率が高いといわれる東洋の「四柱推命」「紫微斗数」、あるいは古代より戦争に使用されてきたという禁断の方位学でもあった「奇門遁甲学」、またその他にも数えられないほどの運命を予測するシステムがありますが、これらを総称して一般的に運命学と言います。



 

 

運命学の発生起源

 


運命学の起源とはでは、このような運命学はどのようにしてつくられてきたのでしょうか?

その起源をたどっていくと、ほとんどが未体系の素朴な占断法に行きつきます。たとえば古代の中国ではカメの甲羅や動物の骨などを火であぶり、その「亀裂の紋様」から占断していました。

こうした占断法は東洋だけではなく西洋にもあり、西洋でもコーヒーの残り液の「紋様」を読み取り、判断をするシンプルな占断法があります。

占いや運命学の起源を遡っていくと、人間の進化と同様に、運命学も最初は非常に単純なものであったことがわかるでしょう。

これらの数多くの運命学は、もともと不安定で予測しがたい人間の未来を予測するために作られてきた特殊な知識だったのかもしれません。

実際に、これらの運命学の多くが古代や中世の動乱の時代に形成されてきました。長く続く戦乱の時代は、平和な現代人からすれば恐怖の時代でしかありません。

そんな時代を生き抜くために考え出されたのが運命学だったのです。現代流にいえば、混乱した時代を生き残るために考え出されたサバイバル術でもあったと私は思うのです。




 

 

運命学の中には驚異的な知識が存在する

 


運命学には驚異的な知識がある危機的な時代に形成された運命学の中に、現代の我々の認識をはるかに凌駕するような驚異的な知識というものがあります。

私は自分の体験からそれを実感してきました。ですから、それをトコトン研究してみようと思ったのです。

でも、現代は科学の時代。中にはこれらの知識や理論をすべて迷信として考える人もいるでしょう。

ただ、その全てを迷信という一言で片付けるには無理があります。実際にこうした非難をする人の多くが、運命学を一度も学んだこともなく、あるいは多少学んでいても、運命学自体に付随する迷信的な部分に囚われてしまって、まったく理解できていないのです。

そして最終的には「やはり迷信であった」として、大切なものを捨て去ったりしているのです。今は、その過渡期の時代なのです。


 

 

運命の探求に必要なもの

 


科学とは、あくまでも「ある観測面より照らした一つの世界の観察術」といえるものです。ですから、決して万能というわけではありません。ただ、この科学的な探求術には見習うべき点がたくさんあります。

私はこの科学的な観察法の良い側面を生かし、その思考法を使って、運命原理を解明してくための方法論として援用しようと考えています。それには古来の知識を自らの体験に照らして実際に観察し、その取捨選択をし、より合理的な運命学というものを追求していかねばなりません。

 

現代は幸いにも開かれた自由な時代。かつては秘伝であった知識なども一般に公開されています。

そんな時代だからこそ、こうした研究も可能になったのです。恵まれた時代に生きる人は、かつての古来の知識を十分に吟味していく必要があるでしょう。

何の批判もなく、古来の知識を受け継ぐべきではありません。真実の運命学を見出すには、それなりの努力が必要なのです。


〔八島高明・文〕








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  オフィスファルの「占いと運命の科学」より 


 



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