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八島高明の「子平真詮」 巻之一




このページは四柱推命の古典 「子平真詮」 を八島高明が解釈したものです




『子平真詮』巻之一

 

1 論十干十二支


 

天地之間。一気而巳。惟有動静。遂有動静。遂分陰陽。有老少。遂分四象。老者極動極静之時。是為太陽。太陰。少者初動初静之際。是為少陰少陽。有是四象、而五行具於其中矣。水者、太陰也。火者、太陽也。木者、少陽也。金者、少陰也。土者、陰陽老少木火土金水冲気所結也。・・・・

 



 

陰陽と五行とは?

 

四柱推命(命理、子平、八字)でもっとも初期に論じられるのは、陰陽、五行、十干、十二支である。陰陽とは「易学」でいうところの相反する性質をもつ二つの気をいう。万物は陰陽二気の消長によって成立する、と中国人は考えた。

 

五行は天地の間を循環する原理。木、火、土、金、水の五つの気をいう。もともと陰陽説、五行説は別々の思想であったが、のちに融合して「陰陽五行説」となった。そこから必然的に「十干の思想」へと発展していく。



 

 

十干とは何か?

 

十干とは甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸をいう。これは陰陽思想と五行思想が合わさって生じたものと考えることができる。つまり、陽性の木が甲になり、陰性の木が乙になり、陽性の火が丙になり、陰性の火が丁になり、・・・・というわけである。これをまとめると、次のとおりになる。

 

甲(陽の木) 乙(陰の木) 丙(陽の火) 丁(陰の火) 戊(陽の土) 己(陰の土) 庚(陽の金) 辛(陰の金) 壬(陽の水) 癸(陰の水)

 

 

十干に関しては、私は次のように考える。つまり、十干とは五行である木、火、土、金、水という素材(形質)に浸透した陰陽の気(性質)であると。

 

まず、最初に五行、陰、陽、これらは全部切り離して考える必要がある。つまり、全部で7つの素材があることになる。陽、陰、木、火、土、金、水の7つの素材である。これは、奇しくも一週間と同じである。

 

そのなかでも陽と陰は特別な存在であり、五行のような元素的な存在(形質)ではない。強いていえば、陰陽とは光の波のようなものである。そして木、火、土、金、水の5つは、単純にその影響を受ける「素材」「元素」と考えることができる。

 

光の波である陽と陰の波長は、5つの元素である木、火、土、金、水に順次浸透していく。それはまるで月が引き起こす潮汐のようなものだ。五行のなかに陰、陽として浸透し、干潮と満潮のようなリズムを永遠に繰り返すのだ。

 

それは規則正しく木、火、土、金、水へと浸透していく。そしてこの循環は単なる季節の循環ではなく、宇宙の循環律として考えられたのが「陰陽五行説」なのである。

 

 

 

十二支とは何か?

 

では、十二支はどのように考えることができるだろうか。十二支というと、すぐに西洋の12星座がすぐに思い浮かぶ。12星座は、もともと古代バビロニアの占星術から発したものである。この二つは無関係なのであろうか?西洋と東洋の同様な占星術に、たまたま偶然に使われたものであろうか?

 

ちなみに12星座と12支の意味を細かく比較していくと、それが驚くほど一致することに気づくだろう。

 

四柱推命の研究者の中には、四柱推命と占星術はまったく関係がない、と主張する人もいる。しかし、12星座と12支が同様な意味を持つことの偶然に関しては、何も説明してくれない。「それはただの偶然なのだ」というのであろうか。

 

もし、12星座と12支が何の関係もなければ、なぜ、これほどまでに意味が似ているのか。そして、その数がちょうど12なのか、その明確な説明が必要となるだろう。

 

私の考えでは、古代中国にバビロニアの系統を引く占星術が中国に流入してきた、と考える。それを中国人は12支として、自らの思想体系のなかに組み込んだ。その思想を「太歳」として観測していた木星の動きに当てはめたのかもしれない。

 

とにかく、12支の思想は干支歴として確立し、四柱推命のなかにも組み込まれていった。それは陰陽五行思想の成果ともいえる天干と組み合わされて、四柱推命の重要な構成要素「干支暦」となったのだ。

 

12支については、よく季節にたとえられる。しかし、12支がもともと12星座の思想から出たものであれば、本来的に12支は季節を表したものではない、ということになる。では、なぜ12支は季節にたとえられるのか?

 

それは季節のたとえを使うことで、12支のことをよく説明できるからだ。ちなみに12支と季節は次のような関係になる。

 

寅、卯、辰 → 木属性    巳、午、未 → 火属性

    

申、酉、戌 → 金属性    亥、子、丑 → 水属性

 





 

12支は季節ではない


 

木、火、金、水の属性を4つの季節、つまり四季に配するのである。こうすると非常に12支が何であるかがわかりやすい。それはたとえば、12支の説明を無知の人にも理解できるように、 丑→牛、寅→虎、卯→兎と、たとえたことに比べられるであろう。

 

 

季節は1年間、12ヶ月の循環律であることから、それが目に見えて理解しやすい。しかし、12支は季節ではないのだ。なぜなら、四柱推命では月柱だけではなく、年柱、日柱、時柱にも12支があるからだ。

 

もし、12支が季節であるならば、年柱、日柱の12支とは何か、という問題になる。季節だとすると、この説明は不可能なのだ。季節であることを主張するならば、この説明をするべきであろう。したがって12支とは季節ではなく、何か別のものと考えねばならない。私はおそらくは12星座に、その起源があると考えている。

 



 

 

12支のなかにある土の扱いについて


 

もう一つ、四柱推命では12支のなかに「蔵干」という思想を入れる。土を季節の終わりの中に配当する。つまり、4月辰のなかに土をいれ、7月未の中に土を入れ、10月戌の中に土を入れ、1月丑の中に土を入れる。

 

土が入ることによって、その季節が終わりであるという、具体的なイメージが出てくる。しかし、季節のなかに土を入れるのは、明らかにおかしいのではないか?

 

たとえば2月から4月は春だから、当然、木の属性が強くなる。5月から7月は夏だから、火の属性が強くなる。8月から10月は秋だから金の属性、11月から1月は冬だから、水の属性が強くなる。

 

木は生気を発するものであり、火はそのまま夏の暑さであり、金は収蔵の季節で実りを納める季節、水は寒さきわまる時期で凍りつく季節。こうした説明は非常にわかりやすく納得もできる。

 

しかし、どうして春の終わりに土が入り、夏の終わりに土が入り、秋の終わりに土が入り、冬の終わりに土が入るのか。その何をもって土というのか? 

 

具体的に季節のなかにおいて、そうした土の作用というのは確認できるものではない。つまり、これは土の作用と似ているものを、勘違いしたものと考えられるのだ。

 

四柱推命には〔生、旺、墓〕という発想がある。生とは「生じる意味」で、12支でいえば寅、巳、申、亥に相当する。旺とは「盛んになる意味」であり、12支では卯、午、酉、子に相当する。墓とは「土を盛って見えなくする」という意味があり、つまり収めるものである。12支では辰、未、戌、丑に相当する。


 

12支は本来的に、この[生、旺、墓]で論じるべきもの。これを論じる過程の中において、いつの間にか〔墓〕の中に土が入れられたのかもしれない。墓とは〔おかは〕のことだから、昔は土葬であり、土を盛っていた。そこから〔墓〕の地支=土、と考えたのではないか?

 

その作者は、おそらく五行思想の信奉者なのかもしれない。「12支のなかに土がないのはおかしい」と考えたのではないか?

 

でも、よくよく考えれば、本来的に土は12支の[真ん中]にあるので、けっして「無い」わけではない。しかし、それでは納得がいかないので、無理やり12支のなかに土を入れたのかもしれない。

 

では、どこに入れればよいのか、と考えていくと、「墓」の地支がもっともそれらしく見えるものだ。昔のお墓は土で盛ったので、そのイメージが沸いたのだろうか?

 



 

 

12支の中に土を入れると矛盾が生じる


 

しかし、墓の地支のなかに土を入れてしまうと、おかしなことになる。四季の終わりに、なぜか土性が入ってくる。でも現実をみても、季節のなかに土の作用を感じることはできないはずだ。土の作用とは何か?

 

土が本来的に12支の真ん中に入ることからみて、土とは他の五行を結びつけるものである、と考えることができる。しからば、どうして土をわざわざ四方に配する必要があるのか?どう考えても、どうにも納得できないものがある。

 

実際にたとえば、月支元命に土をいれて解釈してみるとよくわかる。そうすると、どうにも本人とのイメージが合わない。それよりも木、火、金、水の本気で計算するほうが、実にすっきりとしているのだ。そうすると実際の人物とのズレも生じない。

 

でも、四柱推命では当たり前のように、蔵干のなかに土をいれて解釈することが主流となっている。まったく不思議というほか無い。

 



 

やはり12支=12星座ではないのか?

 

インドでは宇宙論的な発想に、「3つのグナ」という発想法がある。3つのグナとは物事の性質のことで、ラジャス、タマス、サットバのこと。ラジャスは動的な性質をいい、タマスは暗い性質、サットバは明るい性質のこと。インドではベーダ、ヨーガでも採用されており、基本的な哲学となっている思想だ。

 

この3つの性質は、奇しくも四柱推命の〔生、旺、墓〕と一致している。生はサットバで明るい性質であり、旺はラジャスで動的な性質、墓はタマスで暗い性質のこと。この発想法をいれると、なんと12支の土の問題を矛盾無く解決できるのだ。

 

つまり、墓とは暗い性質のことである。その作用は季節でも確認できる。春の終わりには木の作用が暗くなる、のだ。そして夏の終わりには夏が暗くなる。そして秋の終わりには秋が暗くなる。冬の終わりには冬が暗くなる。

 

暗くなるとは、つまり「不活性になる」ということ。そう考えれば、その作用はたしかに「土」に似ているものだ。しかし、土でないことは、これまで説明してきた。もし、蔵干の土の作用が無いことになれば、これまでの四柱推命の理論はガタガタになってしまうかもしれない。

 

それほどまでに、蔵干のなかに土ありきの思想が深く入り込んでいるのだ。ことの真相は自らでつかむしかない。いずれ歴史が証明してくれるだろう。

 

 

 



 

 

2 論陰陽生尅


 

四時之運。相生而成。故木生火。火生土。土生金。金生水。水復生木。即相生之序。循環迭運。而時行不匱。然而有生又必有尅。生而不尅。即四時亦不成矣。尅者所以節而止之。使之収斂。以為発洩之機。故日天地節而四時成。即以木論。木盛於夏。煞於秋。煞者、使發洩於外者蔵収於内。是煞正所以為生。大易以収斂為性情之實。以兌為萬物所説。至哉言呼。譬如人之養生。固以飲食為生。然使時時飲食而不使稍鐖以待将來。人壽其能久呼。是以四時之運。生與尅同用。尅與生同功。・・・・



 

 

五行の生と尅について

 

五行は素材本来ともいうべき性質をもっている。木は木の性質、金は金の性質、火は火の性質、水は水の性質、土は土の性質。これらの五行は固有の素材であって、互いに力関係ともいうべきものが存在する。

 

それはたとえれば「ジャンケン」のようなものだ。グーはチョキより強い。チョキはパーより強い。パーはグーより強い。子供の頃に誰もがした遊びジャンケン。五行の生と尅の関係も、そうしたものにヒントを得たのであろうか?

 



 

五行の生と尅は、具体的に以下のようになる。

 

 

生ともいうべき[活かす関係]   木 → 火 → 土 → 金 → 水 → 木

尅ともいうべき[殺す関係]    木 → 土 → 水 → 火 → 金 → 木

 

 

 

この関係が四柱推命の根底にある。四柱推命ではこれが考え方のすべてなのだ。命式を読むとは、この関係を読むことに他ならない。

 

では、「この五行とはいったい何か」という問題が生じてくる。四柱推命では、たとえを使って説明する。たとえば木とは[植物の木のこと]という具合だ。金は[鉱物のこと]であり、火は[太陽、もしくは灯火]であり、水は[流れる河や海、雨]であり、土は[山もしくは田畑]にたとえられるのだ。

 

 



 

五行は植物や鉱物ではない

 

現実にあるものを使って説明すると、非常にわかりやすい。でも、よくよく考えてみれば、木が植物ではなく、金が鉱物ではなく、火が太陽ではなく、水が河ではなく、土が山でないことは誰でも知っている。もし、五行がそうしたものであれば、私たちの小さな体、命のなかに植物があり、鉱物があり、太陽があり、河があり、山があることになる。

 

もちろん、そんなものは体や頭のどこを探しても見つからないはずだ。では、四柱推命はでたらめなものか? いや、そんなはずはない。

 

たしかに四柱推命はよく当たるし、また大変な説得力を持つ内容がある。ということは、これら五行としてたとえられるものが、私たちの体と命のなかに存在することになる。

 

 



 

五行は私たちの心の中にある[気の種類]である


 

それは具体的な身体の中にはない。身体は医学によって細密なレベルまで調べ上げられた。どこにもそんなものはなかったのだ。でも、間違いなく、どこかに五行にたとえられるものがあるのだ。

 

かつてそんなことを考えているうちに、いつの日かはっと閃いた。「心の中だ」と。心とは脳が作り出す産物ではない。脳科学者は、心の本体が脳であると考えている。しかし、それは仮説であって証明されたわけではない。

 

証明することは永遠に不可能であろう。なぜなら、脳は心を受容するレセプターではあっても、その本体ではないのだから。

 

心の本体を完全に説明できる科学は、いまだ存在しない。その未知の心のなかに四柱推命の構造があることを想定すれば、四柱推命の謎はすんなりと解明できるのだ。

 

五行は心の中にあるのだ。心の中を五行のような5つの元素が流れているのだ、と。そう考えれば、周期によって五行が変化すれば、当然、心の状態も比例して変化するはずだ。心が変化すれば運命も当然のように変わる。だから四柱推命は[当たる]のだ。

 

四柱推命とは心の構造を映し出した、最新の科学なのかもしれない。こう考えてくると、五行は易でいうように、宇宙の構造と相応して運動していると考えることができる。西洋のパラケルススは「宇宙は天であり、人間は宇宙だ」と考えた。

 

つまり、マクロコスモスとミクロコスモスの照応である。この原点はすべての占星術に当てはまる。

 

「五行は天の運動である」。それはおそらく天体の運動周期によるエネルギーの波長変化を捉えたものであろう。それは人間の心と常に相関しており、人間の運命を変えていく力をもったものだ。したがって五行は自然界の植物ではなく、もちろん鉱物でもない。

 

四柱推命では思考の助けとして、こうしたたとえをよく使うが、それが五行そのものだと思うと、とんでもない勘違いをしてしまう可能性がある。

 

 




 

 

 

3 論陰陽生死


 

五行干支之説。已詳論於干支篇。干動而不息。支静而有常。以毎干流行於十二支之月。而生旺墓絶繁焉。

陽主聚。以進為進。故主順。陰主散。以退為退。故主逆。此長生沐浴等項。所以有陽順陰逆之殊也。四時之運。成功者去。待用者進。故毎流行於十二支之月。而生旺墓絶。又有一定。陽之所生。即陰之所死。彼此互換。自然之運也。即以甲乙論。甲為木之陽。天之生気流行萬木者。是故生於亥而死於干。乙為木之陰。木之枝枝葉葉。受天生気。是故生於午而死於亥。夫木當亥月。正枝葉剥落。而内之生気。己収蔵飽足。可以為來春發洩之機。此其所以生於亥也。木當午月。正枝葉繁盛之候。而甲何以死。卻不知外雖繁盛。而内之生気發洩已盡。此其所以死於午也。乙木反是。午月枝葉繁盛。即為之生。亥月枝葉剥落。即為之死。以質而論。自與気殊也。以甲乙為例。餘可知矣。・・・・



 

 

生旺墓絶について


 

四柱推命には12運とも呼ばれるものがある。正しくは[生旺墓絶]という。名称はともかく、この生旺墓絶とはいったい何であろうか、と考えていくと、それが日干と12支の関係性を比ゆ的にたとえたものであることに気づく。つまり、日干を生命エネルギーの発生源であると考えると、理解しやすい。12支は固有の生命力をもつが、それ自体は生かされている存在である。


 

その力の発生源とは[日干]である。日干から出た生命力は各干支に届く。地支は特に重要なエネルギー源であるので、その作用は大きいものがある。さて、日干のエネルギーが地支に届くと、地支固有の性格と反応して、特定の関係性を生じさせる。それが12運と呼ばれるものである。それはいわゆる日干じたいの強弱ではない。12支の強弱なのだ。


 

つまり、生旺墓絶とは日干の反応によって変化した、「地支の強弱、盛衰、その状態を表したもの」といえる。生じる、旺じるがあり、墓、絶という衰弱の関係性がある。命式中の12支が弱ると、全体の生命力が低下する。


 

生命力が弱れば、活躍するのは難しくなるのだ。しかし、命式の弱い人にも救いはある。一つに命式自体は「現在の状態を表したものではない」ということ。これを勘違いする人が非常に多い。

 



 

 

命式は生まれた時点のデータである


 

命式そのものは、あくまでも「生まれた時点の状態」と考えねばならない。それ以降、努力によって命式は変化しているのかもしれない。そこに四柱推命の価値がある。もし、命式が変わらないのであれば、四柱推命を勉強する価値はなくなってしまうであろう。


 

命式は努力によって変えられる、と考えねばならない。月柱が絶の人であっても、人前に出て堂々としていれば、絶ではなくなるのだ。


 

生旺墓絶は、しかし命式を読む重要なアイテムである。じつにすっきりと性格的な傾向が表示される。以前、私は生旺墓絶をあまり重視していなかった。でも、いろんな人を検証するうちに、それが的確に人の性格を表示していることに気づいた。わずか12のパターンであるが、多くの人がそのパターン類型で説明できるのだ。じつによくできたシステムといわねばならない。

 

 



 

生旺墓絶には2つの考え方がある


 

私の算出法は『子平真詮』でいわれているように、陰陽逆の理論を使う。つまり「陽生陰死」の理論である。その反対として「同生同死」の理論がある。実際に様々なサンプルを使って出してみると、どうも「陽生陰死」のほうがピタリとくる。


 

「同生同死」でやると、温和な人に「帝旺」が出たりする。どうもおかしいのだ。その人はどうみても「建禄」にしか見えない。

 

結局、理論は理論でしかない。もし、その理論が現実と合わないならば、きれいさっぱりと捨て去ることも必要なのだ。いたずらに理論にこだわることはよしたほうがいい。最初に理論ありき、ではなくて、現実を直視することから理論が形成されるのだから。



 

 

 

 

生旺墓絶の考え方とは


 

日干から地支を見た場合、日干というセンサーに地支の状態が映る。これが生旺墓絶だ。地支は独自の個性ではあるが、日干からのエネルギーがないと生きられない。心臓と各臓器のような関係なのだ。心臓は独自の生命体である。

 

臓器も独自の生命体である。だから当然、相性のようなものがある。たとえば臓器移植をすると、拒絶反応というのが起きることがある。これと同じである。臓器どうしにも相性というのがあるのだ。

 

心臓である日干から各臓器に向けて、生命エネルギーが供給される。もし、心臓で作られる生命エネルギーの波長と、臓器の波長が合わなければ、当然、心臓も弱り臓器も弱る。日干と地支の関係もこれにたとえられるのだ。

 

つまり、生旺墓絶とは、この関係性を表したものといえるのだ。以下のような意味がある。

 



 

《生旺墓絶、12運》

 

胎・・・いまだ現実化していない状況。夢をみることにたとえられる。

養・・・弱弱しくまだ自立できない状態。幼少期の子供にたとえられる。

長生・・意識がはっきりとしてくる状態。周囲に観察の目が向いている。

沐浴・・変化・刺激を求める状態。青少年期にたとえられる。

冠帯・・強くなり、威張りだす状態。自信が出る10代後半くらい。

建禄・・一人前になり、一家を興す状態。気力、体力充実する年代。

帝旺・・人生で一番力量を伴う状態。40代から50代くらい。

衰・・・エネルギーが衰え始める状態。控えめで賢くなる。

病・・・煩いが出てくる。変化がない状態にたとえられる。

死・・・意識が退行していく状態。外よりも内面に向かう。

墓・・・動きが少なく、非常に静かな状態。沈黙する、引退する。

絶・・・動きが完全に停止した状態。新たな展望でもある。



 

 

 

実際に解釈する際は、これだけではなく、敷衍する必要がある。ただ、原則から外れた拡大解釈は占いフリーサイズ効果となるので、避けたほうがいい。あくまでも原則を基礎として、多様な解釈をする必要がある。

 

その際に気をつける必要があるのは、年柱、月柱、日柱、時柱の生旺墓絶(12運)はすべて意味が異なるということ。これを同じ解釈としてしまうと、混乱をきたすことになるのでご注意を。

 

また、いまの四柱推命では日干以外の干にも、この生旺墓絶を当てはめる人がいる。つまり年柱天干の生旺墓絶を出し、月柱天干にも生旺墓絶を出し、時柱にも生旺墓絶を出す。でも、生旺墓絶とは本来的に「日干と各地支の関係性」という大原則がわかれば、こんな誤りをすることはない。

 

日干と他の干では、まるで意味が異なる。日干とは心臓なのだ。つまり、生命エネルギーの供給源なのだ。他の干にはそんな働きはできない。

 

つまり、他の干には生旺墓絶は存在しないのだ。これは通変にも当てはまる。原典では[生尅名]といわれるものだが、日本では通変、変通などと呼称されている。これも生旺墓絶と同じように、日干と他の干の関係性を表したものなのだ。

 

 




 

 

4 論十干配合性情



 

合化之義。以十干陰陽相配而成。河図之数。以一二三四五配六七八九十。先天之道也。故

始於太陰之水。而終於冲気之土。以気而語其生之序也。蓋未有五行之先。必先有陰陽老少。而後冲気。故生以土。終之既有五行。則萬物又生於土。而水火木金。亦奇質焉。故以土先之。是以甲己相合之始。則化為土。土則生金。故乙庚化金次之。金生水。故丙辛化水又次之。水生木。故丁壬化木。又次之。木生水。故戊癸化火又次之。而五行偏焉。先之以土。相生之序。自然如此。此十干合化之義也。


 

 

干合とは何か?


 

干合という概念は、四柱推命にとっては重要である。干合の説明に河図を出してきているが、この説明は権威付けにも思える。無理に河図を出さなくても、干合の理論は整然としたもので、実証的にも信用できるものである。



 

 

《干合の考え方》


 

干合の考え方は以下のようになる。

1 甲+己=土

2 丙+辛=水

3 戊+癸=火

4 庚+乙=金

5 壬+丁=木



 

干合となるには、「陽干から陰干を剋する関係であること」という法則がある。干合の理論がどのように発見されたのか不明だが、実際に干合を想定しないことには解釈が成り立たない場合がある。

 

実際に私は干合理論を前提として、ある人物の観察をしてきたが、間違いなく「干合理論」というのは存在する。ただ、干合によって命が変化するのは、さまざまな干と干の係わり合いを検証する必要があるだろう。

 

干合の法則は、化学でいう「化学変化」に似ている。水はH20であるから、水素原子2個に酸素原子1個から形成される。化学変化によって、初期の水素と酸素は結合して、まったく異なる物質、水となる。四柱推命の干合も同様なものである。

 

もともとは甲で木の属性であったものが、干合によって属性土の戊となる。丙であったものが属性水の壬となる。

 

こうした干合の法則をみると、天干というものが文字だけで解釈するものではなく、実在的なエネルギーを持った物質的なものである、と思えるのだ。これを見ても天干、地支が単なる字面だけの、非実在的なものではないことが理解できるであろう。



 

 

 

干合にも剋する作用がある


 

よく初心者が勘違いしやすい部分であるが、干合すると「剋する作用が消えてしまう」と考えている人がいる。しかし、これは誤りである。これまでこの問題を検証してきたが、干合しても剋する作用は消えていない。

 

そもそも干合理論じたいにあやふやな箇所がたくさんある。たとえば「干合は命式の中だけで起きるのか、それとも大運、歳運でも生じるのか」が、まずわかっていない。

 

さらに、干合して化する場合、それにかかわる干の地支が問題となる。たとえば丙辛の干合の場合、丙子+辛巳でもよいのか。丙申+辛丑ではどうか?

 

つまり、地支の配合によって化したり、化さなかったりするのであるが、その明確な法則がいまだに判明していない。『子平真詮』では、そのあたりが詳しく触れられていないのだ。

 




 

 

 

5 論十干合而不合


 

十干化合之義。前篇既明之義矣。然而亦有合而不合者。何也。蓋隔於有所間也。譬如人彼此相好。而有人従中間之。則交必不能成。仮如甲與己合。而甲己中間。以庚間隔之。則甲豈能越剋我之庚而合己。此制於勢然也。合而不敢合也。有若無也。

 

干合には化するものと化さないものがある


 

干合すれば干がすべて変化する、と考えるのは過ちである。干合には厳しい条件があり、干合するには化する五行が旺じていなければならない。つまり、以下のような配合が化する際の条件となるのである。

 


 

年柱 庚申

月柱 乙酉



 

この場合は化して、乙は辛に変化する。月柱の天干が変化すれば、当然、大運の初期も変化すると考えねばならない。これをそのままに、乙から大運を始めると、すべての計算が誤りとなるので注意が必要。

 

干合する際は、必ず隣り合う必要がある。反対にいえば、隣り合っていなければ、干合とは見さなさい。たとえば以下のようなパターン。


 

年柱 庚申

月柱 甲子

日柱 乙酉


 

この場合は、間に甲子が入っているので干合とはならない。また、隣あって干合していても、さらに隣に干合があれば、これを妒合といい、干合とはみなさない。以下のようなパターンである。



 

年柱 庚申

月柱 乙酉

日柱 庚子



 

四柱推命ではさまざまな流派があり、それぞれが独自の法則を主張している。現在、玉石混交といっても過言ではない。したがってその解釈は容易ではない。現状をみても、いろんな人が自己主張をなし、自己流に解釈しているのが現状なのである。


 

特に明確な理論の確立されていない干合理論、蔵干理論においては顕著である。

 

四柱推命の研究に携わる人は、いまだ完成を見ないこの理論に対して、自分の感性と試行錯誤と検証を重ねながら、その研究を進めていく必要がある。






 

 

 

 

6 論十干得時不旺失時不弱


 

書云。得時倶為旺論。失時便作衰至理。雖是至理。亦死法也。然亦可活看。天五行之気。流行四時。雖日干各有専令。而其實専令之中。亦有並存者在。仮若春木司令。甲乙雖旺。而此時休囚之戊己。亦未嘗絶於天地也。特時當退避。不能争先。而其實春土何嘗不生萬物冬日何嘗不照萬國乎。



 

 

月令の扱い方について


 

四柱推命を単純に扱う人は、月令を得ているかどうかだけにこだわる。しかし、たとえ月令を得ていても、日干が強いとは限らない。なぜなら、月令を得ていても、年支から剋されていたり、あるいは日支から剋されていたりすることもあるからだ。単純に月令だけで日干を強とすると、とんでもない過ちを犯すことになる。


 

これは先にも述べたが、日干の強弱を生旺墓絶、つまり12運のみで判断してもいけない。地支が弱くても、天干に比劫が並んでいることもあるからだ。その場合、日干は弱くはならない。このことは実際の人物を観察することで納得できるであろう。


 

月令でさえも、あくまでも日干の強弱を判断する際の「目安」である。月令が弱くても、日干が弱いと単純に判断してはいけない。他の箇所に強い地支の根が入っている場合があるからだ。また、成功する人が必ずしも日干が強いわけではない。多くの鑑定サンプルをとれば、その事実が理解できるであろう。


 

成功者は、多くの場合「大運」の好調さにあるようだ。さらに幼少期に自分の方向性を探し出した人と、そうではない人の運命も当然異なる。四柱推命はその人の運命を判断する大きな材料には成りえるが、完璧なものではない。


 

命式がよければ必ず成功する、とはいえないのだ。命式が悪くても成功する人はいるし、命式が良くても成功していない人がいる。すべてを命式だけに頼り切ると、大きな過ちを犯すことになるだろう。

 

日干の強弱を出す場合、天干、地支、大運、歳運まで、本来であれば計算に加える必要がある。簡易的に出す場合でも、最低限、天干と地支の合計を加算する必要がある。その際、難しいのが干の力量、地支の力量の配分であるが、その詳しいテクニックは古典には述べられていない。

 

となれば、勢い各自の経験や勘に頼ることになるが、そんなやり方を続けていれば、どこかに矛盾が生じてくるのは避けられない。

 

私は独自のやり方で、天干、地支の力量を算定し、さらに年、月、日、時間の項目別に力量を変化させている。さらにそれは五行の性質まで及んでいる。実際にはさらに細分化されたテクニックが必要かもしれないが、今のところこのレベルまで細かく力量分析をしている人は少ないようだ。

 

 






 

 

7 論刑冲会合解法


 

刑者、三刑也。子卯巳申之類是也。冲者六冲也。子午卯酉之類是也。會者、三會也。申子辰之類是也。合者、六合也。子與丑合之類是也。此皆以地支宮分而言。斜對為冲撃射之意也。三方為會。朋友之意也。並對為合。比鄰之意也。至於三刑取義。姑且闕疑。雖不知其所以然。於命理亦無害也。



 

 

刑についての考え方


 

刑とは何であろうか。四柱推命の他の理論が整然としているのに比較して、どうも刑についてはしっくりとこない。そもそも、刑については明確な鑑定、診断を見たことがない。私は命式の判断に刑を一切考慮していない。たとえば酉+酉は刑であるが、刑と取らなくても酉が二つも並んでいれば、かなり「変人的な人」になるであろう。午についても同様だ。午が二つも並んでいれば、かなり「自我的な要素」が入ってくる。


 

もちろん、日干との関係も重要だが、同じ地支が二つ、三つと並ぶのはあまりよろしくない。なぜかといえばバランスが崩れてしまうからだ。命式全体に大きな偏向性が出てしまう。

 

命式ではバランスを重視するので、命式が偏るのをあまり好まない。ただ、偏っているからといって悪い命式とはいえない。判断は局所的なものではなく、あくまでも全体的な観点から見なければならないのだ。

 

 

 

 

三合についての考え方


 

三合は理論としては美しいものであるが、どうも三合にこだわると判断が誤ってしまいかねない。というのは、三合であれば同然、その五行は強くなるからだ。三合には以下のものがある。

 



 

《三合の各パターン》


 

申子辰・・・・水の三合

亥卯未・・・・木の三合

寅午戌・・・・火の三合

巳酉丑・・・・金の三合


 

三合の中心には旺の地支が陣取っている。その脇には生の地支、墓の地支が並ぶ。これはまるでオリンピックの金銀銅ではないか。それはともかく、三合になるとその五行が強まるとされている。それは鬼に右腕、左腕が備わったようなものかもしれない。


 

三つが揃うのだから、当然、五行は強まるのかもしれない。しかし、三合の作用を現実的に見ることはあまりないように思う。

 

刑と同様に三合にも、どうも釈然としない部分がある。三合となったから運勢が隆盛して発達する、という人もいるが、身近でそんな事例をみたことがない。三合であるからというよりも、大運全体のバランス、日干の力量が増強されていることが多いのだ。

 

つまり、三合の理論を引っ張り出さなくても、隆盛運は説明できる場合が多い。

そんな理由から、私は三合をあまり参考にしていない。




 

 

冲についての考え方


 

冲については実証ともに、ほとんどの場合、十分に当たるものだ。それほどこの理論は的を射ているものだ。冲とは、以下のようなものをいう。



 

《冲のパターン》

 


子⇔午

丑⇔未

寅⇔申

卯⇔酉

辰⇔戌

巳⇔亥


 

冲の地支が並ぶと、その地支の力量はともに弱まる。本来の力量の半分くらいに考える必要がある。ただ、まったく作用がなくなるわけでない。作用が無くなると考えると、そもそも地支が生命エネルギーの源であるという理論が破綻してしまう。地支がなくなることはないのと同じように、その作用もなくなることは無い。ただ、力量が衰弱してしまうのだ。


 

したがって冲の地支を力量計算する際は、その点を考慮に入れる必要がある。単純に同じ力量を入れると、実際の人物と予測の間に矛盾が生じてしまうのだ。理論の前に現象がある。科学はまず観察することから始まる。観察して法則性を導き出す。法則性から理論が予測される。検証を重ねていくと法則はついに理論となる。


 

四柱推命もいまだに完成されたものではない。科学的な検証を積み重ねて完成されるものだ。したがって古典の理論にいたずらに惑わされることなく、実際の観察と推測を繰り返して、技術を検証していく必要がある。


 

こうした繰り返しから、いつの日か正しい結論が導き出されてくるのだ。いたずらに四柱推命の古典を妄信しないほうがいい。四柱推命はいまだに完成されていないのだから。

 

 





「子平真詮巻之二」 に続く









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